明日の話は、明日しよう

今を生きるのに精一杯

No.13.2 延長戦

お久しぶりです。Mikuriです。

今回の記事はNo.が遡り、いつぞやの記事の続編としてナンバリングしていることからも分かるように、医師から鬱病の診断を受けて約半年間仕事をしていない時期があったので、それを振り返る記事となります。

今となってはほぼ良好なので問題ないですが、次にまたこうなるのか分かったもんじゃないので、未来の自分にこうしてヒントを残しておきたいので。

もちろん誰かにとって何かしらのヒントになったとしても、それはそれで幸いです。それでは初めて行きましょう。

 

 

・就職~

前回の記事を書いた段階では自分は就職していなかったので。この段階から説明を軽くしておきます。

 

自分は所謂SESエンジニアとして働いていました。自分の会社とは別に大きい現場に派遣されてn次請けとして働く、といったスタイルのエンジニアですね。自分が配属された現場は、自社から来ている人は片手で数えられる人数しかおらず、配属されて1年ちょっと経過したころには自分と年上のエンジニア2人しかいない状況でした。

初めはその年上エンジニアの方と同チームで働いていたのですが、その方が度々体調を崩されること、また現場都合で別チームとなってしまったことで、「自分が自社の現場責任者(≒実質的な単独常駐)」として扱われるようになってしまいました。

現場責任者といっても、そこまで重たい仕事が発生するわけではなかったですが、単純に仕事周りで相談できる人間が周りにあまりいないのは、ぼちぼち配慮すべきポイントだったと考えています。

 

そうして別チームに異動した自分はその後も色々なチームを転々とさせられることになり、ぼちぼちつらい仕事も経験しました(一緒に仕事してた人が蒸発して負担が倍になるとか)が、まあまあ上手くやってたと思います。

結果として最後に居たチームは「他現場では業務経験があるが、自分の現場では新設されたばかりでノウハウが浅い小規模チーム」でした。

これがかなり問題となってきます。

 

 

・発症直前(2023/1)

問題となる2023年頭。

そもそも大きめの案件になりそうなのが2022年末から想定がついていたのですが、詳細が伝わってきたのが1月中旬な時点である程度問題でした。そして伝わってきた案件の規模感。今までも無理の在りそうな案件は何度かありましたが、それと比べても大差ないか、それ以上の規模感でした。

「これは今の自分達では厳しいかもしれません」とチームリーダーに告げましたが、彼は過去に別現場でこのチームに在籍していたことがあり、ノウハウをある程度有している為、「なんとかなる」という見解でした。確かにそんなチームリーダーに頼れればなんとかなるかもしれませんでしたが、彼は他チームのメンバーも兼任しており、こと在るたびに「他の事出来ないんだよなあ」とこちらに溢してくるためあまり頼りきりにはなれない状況でした。確かに忙しいのは分かるのですが、それをこちらに明確に分かるような態度でぶつけるのは辞めてほしかったです。

そんな状況で始まる仕事。そもそも案件の概要を掴むところから難しく、過去のノウハウもないため手探り状態。かさむ残業時間。

少しずつストレスが溜まっていく中、いよいよそれらが爆発するような出来事が発生します。

 

 

・発(2023/2)

実際に出来事について話す前に、改めてある程度働き方の説明をしておきます。

現場で常駐して働くSESエンジニアは、多くの会社が一堂に会して働いています。自分の働いてるチームは、自分ともう2社で構成されていました。ここではA社とB社とします。

A社はチームリーダーの所属している、自分達よりn-1次請けの商流の高い会社。

B社は自分達と同じn次請けの会社。この会社が問題で、チームに所属している人員が1人を除いて軒並み高齢であったことです。確かに自分が所属していた現場は、歴史も長い企業であったり、様々なバックグラウンドから「職人気質」な高齢な方を見かけることが多かったです。

ただこの会社に所属していた方は、お世辞にも優秀であるとは言い難く複数人いてようやく1人分の仕事をしている、といったような状況でした。更には人員の交代もかなりハイペースで行われていて、3か月単位で入れ替わりが発生していることすらありました。入れ替わったとて来るのは結局高齢の方で、自分の体感としては定期的にチームメンバーの経験値が0にリセットされているのと同義でした。

実際このチームメンバーの編成難から2022/9頃、自分が担当している案件は無事に完了していましたが、B社側が火の車状態で、チームリーダーの指示により自分がヘルプに入り、複数人いるはずのB社側と同量の仕事をしてなんとか解決するという事態が発生しています。

 

ここまで話すとある程度察しがつくと思います。チームがパンクしました。

自分の抱えてた案件が一番重たく、B社側に託されていた案件は自分から見るとまだなんとかなりそうなものでしたが、パンク。

「これはこうしなきゃいけないんじゃないですか、どうして出来てないんですか?」みたいなニュアンスのことも、自分より遥かに年上であること、同チームとはいえ他社であるという関係性から、自分からはロクに言えずでした。

チームリーダーもまた、ストレスを溜めているのを露骨に態度には出していましたが、直接𠮟りつけることは会社の関係上出来ず、ねちっこい指摘を繰り返している様子でした。

 

そんな状況で自分までパンクしたら終わりだ、と必死こいて仕事をしていたのですが、いよいよ自分の精神面が完全に折れてしまいます。

感情がささくれだっていて、些細なことでめちゃくちゃに怒ったり、遂には涙が出るようになったり。休日も仕事のことが気になって気が気でなくなったり。SNS疲れが出たり。オタクコンテンツに触れる元気が出なかったり。

前回と違う点としては、遂には飯を食う元気がなくなったのが印象的でした。仕事終わりに泣きながら食べれる気がしない飯を無理やり口に運んだのが、今回一番つらい経験でした。

もう一点は、死にたいとは一切考えなかったこと。もちろん自分が悪い点もある程度はありましたが、今回は外的要因が多く、辛さと同じくらいそちらに対する怒りも大きかったからです。

これ以前にもボチボチつらい仕事はありましたが、この時「この案件を乗り切れればなんとかなる」といった元気はありませんでした。そもそも半年前に似たような目に遭ってるのに、今後良くなるビジョンは見えません。また、SESであることを活かして現場を変えるのもノリ気ではありませんでした。多重下請けの一番下に居る現状は変わりないからです。

そうして本社に連絡を取り付け、仕事を辞めたい旨を伝えました。無理に引き止められず、すんなり聞き入れてくれたのは本当に助かりました。

ただ、自分と本社だけでなく、本社と常駐先の契約があることから、早くとも3月末までは働かなくてはいけないのではないか?という状況を伝えられ、その日の夜は「そこまで耐えられるか?」と考えると涙が止まりませんでした。

結果翌日、体が動かなくなりました。

 

 

・通院(2023/3)

自分の中に張り詰めてたであろう糸が切れ、ずっしりと身体が重い。動ける気がせず、会社に休む連絡。一日様子を見ればなんとかなるかと思いましたが、そんなことはなく翌日も休むことに。

ことの大きさから、前回は「頼りにならない」とした病院を探すことになります。これが大変でした。初診ってとれない。

自分の住んでる地域は幸いにも心療内科/精神科が多かったので片っ端から電話を掛けましたが、時期(2月末)が悪く「3月の予約が既に埋まっていて4月からの予約を受け付けている」といった病院がほぼでした。今の今体調が悪くて辛いのに、困ってしまいました。それでも諦めず電話を掛けたところ、前回一度だけ利用した病院の予約が取れそうでしたが、そちらより一日早く別病院で運よく予約のキャンセルが出たため、そこに滑り込むことにしました。

このように、再診は予約が取りやすいというケースもあるため心の不調を感じた方は早めの通院を試してほしいです。これを読んで何かしらヒントにしてくださる方がいるとしたらここが一番重要だと思っています。

 

そうして初診の日。ある程度「現在どういう状況におかれていて、どう辛いか」をきちんと説明できるようにしてから臨みました。もちろんお医者様のスタイルによっては上手に引き出してくれる先生もいらっしゃるのでしょうが、思えば前回はそこの精査がしっかりできてなかったから突き返されたように思います。

話を終えると、先生は「これだけだと何とも言えんなあ」と少し怪訝な顔をし、別室でYG性格検査(性格検査の1つ)を受けるように指示。受ける際に「普段ならどう思うかとか繕わずに、今の感情で答えなさい」と言われたので、しんどい気持ちのまま回答し、再度診察室に戻ると先生の顔は少し焦っているように見えました。性格検査の結果があまりにマイナス面に振り切れていたのです。

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実際の結果(黄色がネガティブ側、逆がポジティブ側となっているが、思考的項目以外全てネガティブ側に振り切れているド鬱野郎)

「これじゃ働くなんて無理だよ、休みなさい。診察書書くから」「仕事のストレスなんだから、仕事辞めりゃよくなるよ」

自分の中では投薬しながらなんとか1か月働く予定でしたが、鬱病の診断書を貰いそのまま休職となりました。しばらくは「本当に休職してていいんだろうか」といったプレッシャーもありましたが、それも少しずつ落ち着き、結局そんな休職中に常駐先と本社の話がうまくまとまり、3月末で退職。晴れて無職となりました。

 

 

・その後(2023/4~)

先生の「仕事辞めりゃよくなる」の言葉・投薬の成果もあり、辛い気持ちが尾を引くようなことはありませんでした。

とはいえ4月からゴールデンウィークまではリフレッシュの期間として使い、そこから転職活動を始めました。前職の環境がまあまあ劣悪だっただけで、エンジニアという職種・働くことそのものは嫌いではなく、前向きに取り組めたのは良かったです。

転職活動は中々難航しました。そもそも一回目の就職も遅れていること。前職のスキルを活かそうとするとなかなか難しいこと。辞めてから転職活動をしていること。前職を辞めた時の状況説明。面接が進むにつれて、前回と同じようなヒステリー球の症状が出たため漢方の処方。などなど……挙げていくとキリがありませんが、なんとか7月に内定を得ることが出来ました。転職エージェント曰く「これ以上伸びたら更に質問される事項が増えそうなのでギリギリでした」とのことでした。

ということで一件落着。働いている最中こそ本当につらかったですが、その後の期間はいい休みを貰えたなと、今となっては思います。

休み期間中めっちゃ時間あったのにブログ一切書き上げなかったのは……すみませんでした!

 

 

・反省と今後

ここからは今回の経験を活かせるようにメモ書きをしていきます。

 

・職場に相談できる環境を作ろう

まずはこれに尽きます。身の回りに仕事について悩み相談はしていましたが、流石に労働環境そのものは変えられません。

自社の人間が身近におらず相談できなかったのですが、エンジニアとしては今回のようなケースは割とある話かもしれないので、職場で相談することによって、自分の視点からは得られないヒントが結構あったのかもしれません。

 

・自分が居なくても仕事って何とかなる

これも重要な点です。今回は自分が色々勝手に背負い込むことで自滅を招いた、と置き換えてもおかしくないケースです。恐らく自分が倒れた後も案件は進んで納期に間に合ったんでしょうし。

自分にとっては今回の仕事は本当に辛くてしんどかったので、見極めこそ難しいと思いますが、仕事に対して自分を追い込みすぎないのが今後大事になってきそうです。

 

・スキルは磨いておこう

これは転職時思ったこと。前職の経験がエンジニアの中でも比較的特殊なのもあり、あまり転職の際に生かすことが出来なかったのは勿体ありませんでした。

エンジニアやるつもりならある程度自己研鑽しないといけないね……と思いましたがこの休み期間にロクに触れていません。反省を生かす気があるのかないのか。

 

こんなところでしょうか。次職はある程度環境面もマシになっていそうですが、まあどうなるかは蓋を開けてみないことには分かりません。性格上ずっとポジティブにやってくことは難しそうなので、上手く社会と付き合っていけたらいいなと思います。

今回はこの辺りで。ありがとうございました、Mikuriでした。