明日の話は、明日しよう

今を生きるのに精一杯

No.13 鬱病気取りの一般人

お久しぶりです。ユグです。まあなんかいろいろと忙しいフリをしてて、ブログと向きあってる時間がなかったんですよね。マルチタスクがこなせない。これ3月の記事の予定だったんですけど。

さて今回の記事なんですが、いつもの「好きなものを好きなように語る」といった趣旨から大分離れた、自分の身の上話をします。いわゆる「隙自語」です。好まない人はとことん好まないと思うので、そそくさとブラウザバックをして貰えばと。

それではゆるりと話していこうかと。

 

 

 

0.Prologue

 

思えば自分という人間を振り返ると、とりあえず模試があるから、受験があるから、といって勉強なんてぼんやりとしかしていなかった。捻くれたキモオタクだったけど、クラスで浮くのには耐えられずなんとか友達は作った。そんな妥協点を見つけて、なるようになるさ、といった心持ちで学生生活を送っていた。

その分大学は違った。別に講義に行かなくとも取れる単位は運良く取れるし、受ける講義によって参加する学生も異なる訳だから、交流もしなくていいやと気楽だった。自分の怠慢が100%出た大学生活を過ごしていた。

そうした結果、適切なサボり方も知らず、学部内に友達を誰一人として作らなかった僕は、卒業所要単位を4年で取れるか怪しかったのだ。

「そりゃそうだ、自業自得だ」と嗤われるような、そんな僕のお話だ。

 

 

1.予兆といえばそんな風に聞こえること

 

ただそんな状況でも、僕は未来を直視せず、とにかくぼうっと生きていた。

そんな生き方が少しずつ破綻していったきっかけが、家事を行っていた母が祖母の介護の為に帰省したことからスタートする。

弟は受験に向けて勉強をしなければならない、父は帰りの時間が不安定なため、といった消去法的な理由から、大学生で時間を持て余している僕がだいたいの家事をやっていた。家族仲は良くもなく悪くもなく、謂わばシェアハウス(したことはないが)のような状況が続いていた。「母から家事を任されている」といったぼんやりとしたプレッシャーから、休日遅く目が覚めて父が洗濯を終えていた時には、ひどくいたたまれなく、申し訳なくなった気持ちを未だに覚えている。

 

他にも、当時行っていたサークル活動もきっかけといえばきっかけだろう。

学部内にこそ友達が居ない僕だったが、サークルにはこんな捻くれたキモオタクを面白がってくれる先輩がいたので、それなりの出席をしていたら気付けば代表になっていた。

そんなサークル活動だが、僕は先輩たちとほのぼの遊んでるだけで十分満足だったし「学祭も例年通りやれたらいいかな~」くらいのテンションで活動していたのだが、サークル外部でも熱心に活動している同期複数人からはまあ嫌われていた。代表としての業務はちゃんとこなしてるのに「仕事をしていない」と言われるザマであったくらいなのだから。

とどめとしては、学祭の打ち上げの予約でハズレ店を捕まえてしまい、それをきっかけとしてメディア叩きさながらに学祭への向き合い方なりなんなりを罵倒され、僕は逃げるようにサークルからも代表からも去った。とはいえ代表引き継ぎはキチンと行った、新代表が「あの人達(同期)は言いたいだけ騒いで自分たちは何もしない人達です」と語ってたのが印象的だった。

この一件を通して僕は元から無かった自尊心がさらに無くなった。叩きが相当効いたのだ。その当時会った某氏も「かなり弱ってるように見える」とか言いながら飯を奢ってくれたような記憶がある。あの時はありがとう。

 

そんな少しずつ弱っていった2017年大晦日、大掃除をしている最中に、母が管理していた成績表を父に見られ「お前は何しに大学に行ってるんだ、飯食って寝てるだけのゴミだ、さっさと家から出ていけ」と叫ばれたのだった。昔から父はカッとなるとそんな風に叫ぶ人だった。僕は「生きてるだけのゴミ」を否定する術をなんにも持ち合わせて無かった。「そうだなあ」としか思えなかったのだ。生きながらにして殺されたのだ。

その後、なんやかんやあって家にいることは許され、祖母の様態が回復したことから母が我が家に戻ってきて精神的・心理的な負担は軽減されたのだが、どうも僕は人間として終わったままだった。

 

 

2.つらかったこと

 

既に書いてて辛い。この章は箇条書きですらりと書いていこうと思う。PC内を漁って居たら、去年の今頃心情を吐露してある遺書めいた生々しいWordファイル(書いてる途中で辛くなったのだろうか未完)が見つかったのでそれも参考にした。

 

・準深夜バイト。夜型の人間であることから、午後勤や夕勤より稼ぎが多くなると思い、22:00~26:00のコンビニバイトを週2で入れていた。

正月明け、クリスマスの売れ残りのクリスマスブーツ(お菓子が入ってるアレ)を買う親子3人組を見て、退勤するまで涙が止まらなくなることがあった。幸せそうな家族の姿とか、今の自分の在り方とか、思うものが次々に湧き出て僕を責め立てたのだろう。

準深夜はお客の来店数が少なく、忙しくないことから、品出しなどの作業が主になるのだが、一人で黙々と作業をしていると自分の持つ感情の奥の方に思考を向けてしまい、過去のトラウマなどが掘り起こされてしまい辛くなることが多かった。

 

・外のものが怖い。どいつもこいつも自分を馬鹿にしているように思える。陰口を叩いてるように感じる。なんなら父親は勿論、弟や母親も怖くて自室しか安心できる場所がこの世になかった時期もあった。

可愛らしいものや子供向けのものも、過去に思考を持っていかれてしまい無駄に自分を傷つけてくる。外のものに触れて「お前はこうなれなかった、ダメ人間だ」と語りかけてくるような症状もまた感じた。それに対して謝らなくちゃ謝らなくちゃという、誰に向けても許されやしない感情が出てくるのは、つらくてしょうがなかった。

 

・これは大学生になる前から出ていた症状だが、いわゆるヒステリー球みたいなものの頻度が増えた。自分の場合は喉がつかえて吐き気になる。ただこれで吐いたことは一度もないので、吐こうにも吐けず悶々とする。

未だに治らないが、頻度は大分減ったのでいずれ治ると楽観視している(していいのか?)。

 

・友達に誘われたらだいたい乗ってはいた。ただそれも「断る理由を作るのが面倒」で、乗った方がその場は楽に切り抜けられるからだった。

いざ遊ぶと「どういえば傷つけない」「どうすれば話を広げられる」「どんな返事をすればいい」みたいに会話してても考えてしまう。必要以上に頭を使おうとしてしまうせいで、普段なら楽しかった遊びが、思考にリソースを割きすぎるせいでドッと疲れることに変わってしまっていた。

 

・ハマってたはずのデレステをロクにやれなくなった。まあこれはMAS譜面のFC埋めがほとんど埋まって居たこと、担当の神谷奈緒のカードをすべて手に入れて燃え尽きたことが主な原因ではありそうだけど。

ただ、それまでウキウキで聞いてたデレステのキャラソンは1曲聞いただけでお腹いっぱいな体になってしまった。アイドル達が眩しく見えてしょうがないのである。

 

・いわゆる悪夢の存在。通学中の自分を後ろから刺し殺す夢だとか、誰とも知らない人にとにかく謝り倒す夢を見たりとか。

謝り倒す方は結構な数見たが、起きた瞬間の疲労感が酷かった。

 

Twitter廃人だったのに、Twitterを見るのが辛い時期があった。これは先述した外のものに触れるのが怖い~といったものに近かった。

ただ普通に外出するのと違ってTwitterは、よー分からん炎上案件とかどうでもいい人叩きがなどの「負の意見」が大量に流れてくる日があるので、それらが目に入ってくるのが辛かったのだろうと思う。今でも気に食わない(鼻で笑って流せるようになったので辛くはない)。

 

そして、ここまで述べたこれらを誰にも真面目に相談できなかったコト。

軽く「今こんな感じなんだよね~」と話すことはあれど、真剣に解決に向けて相談することは無かった。自分の抱えている感情を、無責任に他人にぶつけられるほど偉くないのである。自分から他人を遊びに誘うことがあまりないタイプだからこそ、遊ぶときは「元気な自分を求められているのだ」というバイアスがかかってしまうことも多々あった。Twitterも同様の理由からロクに愚痴なんて打ち込めなかった。あと自分でツイート振り返ってメンヘラポエマーになってるのを見たら腹立つなと思ったから。

 

こんなところだろうか。

要は感受性がささくれ立って、思考の方向が大抵マイナスに持っていかれるのである。心のメーターがふとした瞬間にイカレて辛くなる、なんてのはしょっちゅうで、どうしようもなくしんどかった。もちろん、甘えや怠慢とも取られるだろうが、それに反論し、跳ね返せす力を当時の僕は持ち合わせていない時点で、やはりイカレてはいたのだろう。

ただずっとつらいワケではなく、楽しいと感じることもそれなりにあったので「鬱病」と断定するには一押し足りなかったとも思う(だからこそ今回の記事はこのタイトルなんだけど)。他人の前で、自分の雰囲気を取り繕えるだけの力もあったワケだし。

 

 

 

3.学校とか就職とか

 

「大学を辞めて高卒/専門学校に入る」「留学する」「休学する」などの選択肢が4年生に進級する前にあったが、親から「今まで取れてなかった単位が急に取れるとも限らないし、留年してもいいよ」との言葉があり、取った選択肢は「留年の可能性も考慮しながら卒業を目指してみる」だった。

大学を辞める、という選択肢は後々のツケが大きすぎるのではないか、今はつらいが通った先はなんとかなるのではないか、という自分ならではの「ぼうっとした観点」から却下、専門学校は新たに勉強したいことを見つけられるほど自らに活気がない、という点から却下、留学は英語がマジで出来ないので却下。休学に関しては通っているのが国立大学ではないので、学費免除などのメリットがほぼなかった。学校行ってみてダメなら休学ごっこすればいいと考えた。

結果としては

・なんとか4年で卒業することは出来た

・新卒での就職は出来なかった

といったところである。

危惧していた学校生活はなんとか乗り越えられた。4年生にもなってバンバン授業に出てる自分が憎い。阿呆らしい。人の目はつらい。外のものはつらい。ただ「時間通り行けば、時間通り終わるのだ、さっさと行ってさっさと帰りゃあいいのだ」と自分に言い聞かせた。休み時間は図書館で寝るか、人の少ない食堂で学内Wi-Fiを利用してネットサーフィンするかの二択だった。

結局、単位取得を有利にするチートアイテムこと友達は作らず、「留年してもいい」という言葉を馬鹿正直に受け取りロクに勉強しなかったし、卒論も一週間かけずの突貫工事で終わらせたが、何とか卒業できた。反省点しかないが、結果だけ見たら4年ストレート卒業だから良いのだ、と今となっては言える。

 

問題は就活である。「新卒では出来なかった」と結果だけは書いたが、そう至るまでのあらすじはさらっと書いておこうと思う。

3年次特にインターンなどには行っていなかったため、就活スタートは4年生になる直前であった(この時点で遅い)。

説明会なり面接なりに行ったのだが、当時の自分は「今日を如何に切り抜けるか」といった心情で精一杯なのに、「将来・社会のために就職する」といったビジョンは一切見えなかった。その差・劣等感に心を侵されてしまった。周りの就活生にもそんなビジョンは見えて無かったのかもしれないけど、自分にとって周りは「意識高い系」にしか見えなかった。

そうした感情がどうにも辛く、かつ卒業要件単位取得との両立は厳しそうだ、といった見込みから春に内定を決めるのは諦めた。実際ここで無理して就活を続けて、「内定は出たけど単位が取れず卒業できませんでしたw」の二兎を追う者は一兎をも得ずになるよりはマシだったかな。

その後、秋学期が終了してから学校紹介の外部就職活動支援機関を利用して就活を再開。周りも同じ大学のギリギリ大学生なので気持ちは楽だった。ただ、機関の紹介してくれる求人の内容が、あまり自分とマッチしなかった(2月時点で新卒募集してるような企業はそりゃ少ない、そもそもその機関が得意な業種の企業が僕の好みではない)。

その為、卒業までに就職は決まらず。現在コンビニバイトをしているフリーターといった現状だ。就職活動は既卒として別の就職活動支援機関を利用し、中途採用枠での応募を細々と行ってはいる。

ただ、反省点として「症状もマシになってきた秋先から就活を再開させるべきだったのではないか」といった点と「機関に頼るだけではなく自分で探す手段も取るべき」といった点は挙げられるなあと。自分のペースでやるのも大事ではあるけど、「とりあえず学校に行ってみる」という選択肢を取れたのだから、一歩踏み出すべきだった。

就活に関しては、なんとかなったらまた別記事を書くかもしれません。

冒頭に「この記事は3月の予定だった」と書きましたけど、ホントは就活を無事に終えて1年を振り返る感じで3月にこれを提出したかったな~~~という理由からでした。

 

 

4.効いたこと、効かなかったこと

 

まあここまでざっと書きましたが、この1年つらいつらいだけで生き延びたわけではワケではないので、僕を救ってくれたモノに関しても書いていこうかなと。あと救ってくれるのでは?と思ったけど効果が無かったものとか。

これもまた箇条書きで。題字の色は効果があったものは、無かったものは、何とも言えないものは、って感じです。

 

SUSURU TV.

リンクはこちら。いきなりふざけてんだろオイ今までの話全部嘘だろお前、と突っ込まれそうですが大マジ。

僕自身の趣味、音ゲーは今やPCスマホで高品質なモノが楽しめるし、音楽鑑賞はYouTubeで済ませりゃいい話、カードゲームもDCGに移行しちゃったせいで、外出の必要性がまるで皆無だった。その為、辛かった時期は「外に趣味の遊びに行く」より「外に出るのがつらい、やりたい趣味があっても家で出来ることで代替すればいい」といった感情が主だった。

ただ音ゲー仲間が教えてくれた「ラーメンを食う」っていう楽しみは、どうしても外に出ないと達成できなかった。SUSURUさんが、自分が過去に行ったことある店で美味そうにラーメン食う姿は、「あ、また行きたいな」「外出してみても良いかな」と出かけるのに十分すぎるきっかけだったのだ。

つらかった学校通いも、ラーメン屋通いを楽しみに出来たから乗り切れた、といっても過言ではないはず。

ところで鬱病は食欲が減るって聞いたけど、僕は飯食うのまあまあ好きなので一切そんなこと無かった……なんなら一時期飯食うことしか楽しみが無かった(そのため少し太った)。

 

Shadowverse

リリース時から細々~と続けて、なんとなくMasterにいた人間だったが、状況が一変したのはDBN期のアディショナル。

思ったより勝てる!楽しい!って遊んでたらゲーム内最高ランクのGrand Masterに昇格。そこで一瞬「もしかして、俺このゲーム上手いんじゃ?」という感情が過る。どっかに落っことしてきた自信ってのが、ちょっと帰ってきたのだった。

カードゲームなんて完全な実力ゲーじゃなくて運の要素も大きいし、そもそも僕が戦っていたのは競技シーンじゃなくて、ランクマッチ環境だしで散々ではあるが、それでも自信にはなってくれた。1対1で戦ってしばいてるワケだもの。勝ったら相手より強い。負けたら相手より弱い。単純明快。

その後も自分のセンスの無さと対峙しながら、Grand Master生活を何とか続けてはいる。上手くなる為の情報はYouTubeなりTwitterなりブログなりで色々落ちているから、向上心を失うことなく取り組めるのも良い所。

 

beatmania IIDX

先ほど音ゲーが趣味、と書いたが、春先は音ゲーモチベがそれはもう無かった。メイン機種のリフレクは1ヶ月に曲復活があるかないか、といった状況。周りのやってた人はどんどん離脱していく。あとそもそも自分の地力の頭打ち。最悪の環境。最高に楽しくなかった。

その後も音ゲー楽しくないことはないんだけど、以前のようにのめり込んでまではやることはないかな~と他機種を適当に遊んでいたのだけれど、ずいぶん症状もマシになった秋頃、ヤツは稼働したのです。

beatmania IIDX 26 Rootage」。なぜかリフレクをやってた頃の知り合いが、同じくらいの段位で参戦していくのを見て「乗るしかねえ、このビックウェーブに」と言いながら僕もやってみることに。

知らねえ曲に出会うの楽しい~少しずつクリアランプ点くの楽しい~~~って遊んでましたけど、何より大きいのはライバルの存在。同段位の筈なのに全く違うクリアランプの傾向・スコアに刺激されて、俺はこの曲ならライバルトップ取れる!!!!!って叫びながらプレイするの、馬鹿程面白かった。

Shadowverseでも軽く触れましたけど、自分が人と競争するのが好きだってことに気付くことが出来た良い機会だったなあと。

あと就活のモチベにもなってる。時間があっても金が足りねえ上達が追い付かねえ。

 

世界樹の迷宮

これは前記事でも触れたけど、惰性でソシャゲを続けるより「ゲームをしている」感が段違いだった。楽しいって感情しかない。

まあこれに関しては世界樹の迷宮のおかげ!ってよりかは、悪習になりかけてたソシャゲをぶん投げたのが効いた。純粋にゲームで人と競争するのが好きなのに、ガチャの引きが悪いせいでやってない人間にマウント取られるのなんなんだよ、って話すぎるもんな。

 

ロキノン

ロキノンは最高。いつだって俺を救ってくれる。宗教。

何も聞いてないより、音楽を聞いている方が「音楽を聞くこと」に集中して、思考がマイナス方向にバグる事が少ないので、常日頃からイヤホンが手放せなくなった。

愛だ恋だを語るポップより、暗い暗い歌詞を乗せた曲は「こんな感情を持っていても良いんだ、僕だけじゃないんだ」と思わせてくれた。好きな曲のYouTubeコメントに「この周りの人が暗い曲だってひと蹴りで終わらせそうな曲が、僕にとってはすごく大好きで、このバンドが僕の生きる意味だったりする」とあるが、まさにその通りだと思う。彼らの音楽は絶望を歌っているだけのように見えて、その実そんな歌を歌ってくれる彼らそのものが僕にとっては希望だったから。

勿論暗い曲以外も好きだしよく聞くけど、思えばつらかった時に僕を救ってくれた曲はそういう曲ばかりだったなあと。

ちゃんと稼げるようになったらCD買うのは勿論のこと、ライブにも行きたい。人生のモチベーション。やはり宗教。

 

笑う

これだけだったらちょっとわかりづらいよな。思考をマイナスに持ってかれないようにとにかく笑うように心がけていた時期があった。朝晩は大抵家で食べるのだが、その際に見るTVがちょっとでも琴線に引っかかったら笑うようにしていた。黙々と食事するよりはマシかなと。

ただ、それが「母や家族の前では笑顔でいないといけない」って意識にねじ曲がってしまい、朝起きてリビングに出る前笑う練習、つらかった学校の帰り道に元気な姿を見せる為に笑う練習、とかいうことをしてた時期もあったり……。「暗くならない為に笑う」って行為が妙につらくなってしまい、変に意識して笑うのは辞めようという結果に終わった。

 

早寝早起

母から散々言われたこと。「陽の光を浴びて脳を活性化~」と何回言われたか分からない。

早起きに関しては、ぶっちゃけそんな効果がないな、と感じた。だって早起きしたところでやりたいこと・やることがないんだもの。コンディションが良い日は大丈夫だけれど、ふとしたきっかけで思考をマイナスに持っていかれるのだから、早起きしてもあまり得は感じられず、何も考えずに済むn度寝の選択肢を取ることはしょっちゅうだった。

ただ出来る限り早寝はした方が良いと思う。仮に「何かがしたい」と思い立った時に、夜間だと昼間と比べて出来る行動に制限がかかるから、といった理由と、夜遅くまで起きてると「こんな時間まで何やってるんだろう」と言った罪悪感にやはり苛まれるといった点。

どうしても寝れない時に僕が試したのは「満腹中枢が働いたら眠くなるんだから夜食を食べる」と「ゲームを真剣にやって脳を疲れさせて寝るというより倒れる」といった選択肢……まあまあ効いたがあまり参考にしないで欲しい。

 

病院/相談室

真っ先に行くべきでは?と思われがちだが、僕の場合はそもそも行く勇気が出なかった。重くなってから病院に行くのは手遅れとはよく言うけど、「病院に行く」という行為は「自らを病人だと認める」行為だから、どこか自分はまだ大丈夫と信じたくて、ホントに行く気になれないんですよね。

いよいよ重い腰を上げて精神科に行ってみたは良かったが、先生から圧を感じた、といった点もあり自分がどう不安なのかロクに話すことが出来ず「就活が不安なだけでしょ、学生相談室にでも行ってきて」と軽くあしらわれ、スルピリド系の薬を処方(軽い薬だったので効いたか効いてないか分からずといった結果だった)されて終わった。「お医者様にも馬鹿にされるのかよ」とヘラヘラ笑いながら帰ったのを今でも覚えている。

次は大学内の学生相談室を利用したのだが、圧はなくただただ話を聞いてくれる、といった雰囲気だったので自分の不安を少しずつ話し始めると、いよいよ涙が止まらなくなって話が出来ない状況に。「この状況だったら、病院行った方が良いかもね」との言葉。

……堂々巡りでは?

結局このような相談できる施設にはこの2回しか行かなかった。世の中万人と仲良くすることが出来ないとはよく言ったものだが、お医者様・カウンセラーもそれは例外ではない。対人相性って大事だねって話である。それと自分に合った病院を引き当てるガチャ運。

堂々巡りにめげずちゃんと病院に通っていれば、いきなり精神科なんて重いところではなく心療内科にしておけば、とか反省点は多い。

 

さてここまでダラダラとこの章を書いてきたが、要点をサッとまとめると

・悪習は取り払う、つらいことを続ける必要性はない

・時間がかかってもいいから、楽しいと思えること/自分を繋ぎ止めてくれるものを探そう

・早寝はしよう

・自分の変化に気付いて、精神的に余裕があるようなら病院に行ってみよう

といったところだろうか。やはり生きるモチベーションとなり得るモノがあると随分変わるので、そこをゆっくりでもいいから見つけていきたいね。

僕の好きなモノも、ゲームと音楽とかいう受動的な趣味でしょうもないモノ(と昔母に言われた実績アリ)だけれど、好きなモノも持たずぼんやり生きるよりはマシかなって。「好きなモノ」があることを胸張ってみましょ。

 

 

5.希死念慮

 

そもそも、僕は中学生の頃には「高校生のうちに死ぬんだろうなあ」と思っていたし、高校生の頃には「大学生のうちに死ぬんだろうなあ」とも思っていたし、大学生の頃には「就職する前に死ぬんだろうなあ」と思っていた。要するに、典型的などこにでもいる「死にたがり」だったのだ。

ただ、そんな想いは「生きてるだけのゴミ」になってから少しずつ形を帯びてきた。

寝る前に飲むこの薬、多量摂取してしまえば。独り昼食をとる学校の屋上、飛び降りてしまえば。どうしようもなくつらい夜、部屋で首を吊れば。

なんとなく「死にたい」といった感情が、「死に方」に変わっていくのは、たいして時間がかからなかった。

 

そんなある日だった。

寝坊した。ダッシュで駅に着いたが、目の前で電車が出た。どうやっても講義に間に合わないのが確定した。次にこのホームに来る電車は、この駅を通過する特急らしかった。そうだ。

「飛び込もう」

深刻な決断の末とかじゃなく、随分と軽い感覚で死のうとした。どうでも良さが振り切れた感じだった。

誰も見ちゃいないホームのはじっこで、黄色い線から少し前のめりになって特急が来るのを今か今かと待つ。飛び込みに関するあれやこれやが頭を過ったが、関係なかった。どーせ死ぬんだから。車両が轟音を立ててやってくる。一歩踏み込んで飛べば、それでおしまいだ。

おしまいなのに、僕の足はその一歩も踏み出せやしなかった。

「死ねないかあ」

生きてるだけのゴミ野郎の癖に、死ぬ勇気すらなかった自分がどうにも阿呆らしくて、憎かったけど、そんな自分に怒る気力すらなくなってしまった。とうとうヘラヘラ笑って生きることしかできなくなったのだった。

 

それ以降、酷くても「死に方」を浮かべるだけで、死ぬための行動に出ることはなかった。

どうやら僕は、死ぬのが下手らしかった。

浮かんでくる死に方を実行するほどの行動力も勇気もありゃしないし、そもそも振り返れば幼少期に死にかけたことが何度かあった(3m弱の高さの滑り台から頭から落ちた、車に轢かれかけた、そもそも身体が丈夫ではなかった)のに、その時死んでないのだ。

昔から苦手なことからは逃げてきた。

友達作るの苦手だし、数作んなくてもいいや。数学苦手だから、最低限課題だけやって提出さえしてりゃいいや。ソフトテニス、上からサーブ打つの苦手だから下から打てばいいや。ゲームで競い合うの好きだけど、格ゲーも人撃つ奴も向いてないし、練習してまではやりたくないや。

じゃあ死ぬのも下手だし逃げてやろう。生きてる方が、多分、まだ、向いてる。また死にたくなることがあったら、その時に向き合ってみればいいや。

こんな風に「ぼうっとした観点」から思えるようになったのは、本当につい最近だ。後ろ向きに前向いたっていいだろ。「死んでも悲しむ人なんていない」とはよく言うし、僕も強く同意するが、「自分が生きてることを怒る人」もまた居やしないのだ。派手な生き方は出来やしないが、人の合間を縫ってひっそりと生きてみたっていいだろ。そんな奴が居たっていいだろ。

僕の希死念慮は、それはもう僕らしい捻くれた割り切り方に変わっていた。

 

 

6.Epilogue

 

独り閉鎖的に気持ちの整理をやろう、と考えた時に、折角ならインターネットに置いておいて、同じようにもがいている誰か(それか再発した自分)のヒントになれれば幸いだ、と考えたのでこうしてつらつら文章を書いてみた。

実際症状が酷かった時に、「鬱病 ブログ 大学生」みたいな、自分に当てはまりそうな状況を検索窓に入れては漁っていた。安易な検索ワードで出てくる薄っぺらい言葉はどうにも信じられなく、同じようにもがき苦しむ人間の文章の方が信頼できると思ってたので。そこには鬱病の診断すら出なかった一般人の僕と比べるのも申し訳ないほどの、苦しそうな文章がつづられていた。自分のことでさえ辛いのに、それ以上が書かれた文章を読むのは相当なエネルギーを要したが、それに見合うだけのちいさな勇気を貰ったのを、今でも思い出す。

 

今は随分と気持ちも落ち着いて、普通に生活しているワケだけど、「いつかは楽になる、それまで頑張れ」みたいなつまんない言葉で、この文章を締めるのは違う気がする。とはいえ器用で気の利いた言葉も思い付きやしないけど、とりあえず僕なりの言葉を吐き出して終わりにしてみようと思う。

 

今いる場所から逃げて、持ってる荷物は全部捨てて、まっさらになった状態で、社会から離れた誰もいない場所で、どれだけ時間がかかっても良い。飽きるまでとにかくボーッとしてみれば良い。逃げたり捨てたりすることに怒ってくる奴は、そもそも君の為にならないからほっとけ。斬り捨てちまえ。

それに飽きたら、自分と話し合って、少しずつで良いから自分の好きなモノだけ、その次に出来そうなことだけ拾い直しに歩き出せば良い。そうして「やれることだけはやれる人間」になれれば良い。それで上等も上等だ。「聖人君子」や「完璧な人間」なんてくたばっちまえ。そんな言葉はあるだけでそんなもん実在しやしないのだから。

 

ここまでこんな乱文散文を読みきった人間がいるかは定かじゃないけど、この文章が貴方の感情を少しでも動かせていたのなら、とても嬉しく思います。それこそが、僕がこうして文章を書く理由なので。

次はちゃんとキモ・オタクな文章を書こうと思います。今のところの予定は「毎日プリコネキモオタク生活」。キッツいなあ……。

それでは、また。ユグでした。